社会=厳しいってイメージがあるのはグラサンかけてるから説
mikitsuruです。
FacebookではMikihiro Tsurukiです。
最近、Facebookの人たちが優しすぎて泣けます(笑)
だって、何か投稿したらみんな即コメントくれるし、いいね押してくれるし…
あったけぇ人たちばかりなんですよ。ありがたいです
圧倒的感謝m( _ _)m
さて、私ふと思いました。
「なんでみんなこんなに優しいのに、社会は厳しいのか?」と。
だって、社会って人間が構成してできてるものですよね。
その人間がみんな優しかったら、社会も優しくなるはずです。
でも社会って、なんとなく厳しいイメージが強い…いったいなぜでしょう?
グラサンかけてるだけ説
私の中では最有力の説がコレです。
これは、「社会=厳しい」と自分が勝手に思い込んでいるのでは?という説です。
グラサンかけてる現象
例えば、グラサンをかけると目の前の景色って少し黒っぽく見えますよね?
それと同じです。
自分が「社会が厳しく見えるグラサン」をかけているから、そう自分の目には映るのでは?と思うのです。
つまり、本来、社会とは、自分が思っているほど厳しくはないのでは?ということです。
ただグラサンをかけているから、自分には、世界は暗く見える。
なら、グラサンを外せばいいのです。
そうすれば、本当の世界の景色が見えます。
ただ、もしかしたら世界は自分が思っている以上に「単純」かもしれません。
ゆえに、自分が「世の中は厳しく、複雑だ」と思い込んでいるうちはなんとも思わなかったことがストレスに変わる恐れがあります。
例えば、自分が成長できないのは社会のせいだ…としている場合、「社会が悪」というグラサンを外したら、言い訳はできなくなります。
世界の見え方は共有しがたい
また、世界の見え方とは、誰とも共有しがたいものです。
人それぞれ、違ったグラサンをかけているため、他人と自分では世界の見え方・映り方が違うからです。
ゆえに、人に「世の中っていやになっちゃうよな」と問いかけても、必ずしもYesとは返ってこないのです。
また、ここが貧富の差の原因でもあったりします。
中には、自分の精神状態を安定させるために、「悪いのは世の中」とし、自分以外に悪を作ることで、自分を正義として成り立たせる人もいます。
一方で、「世の中は単純」とすることで、自責思考を成り立たせ、成長意欲を維持する人もいます。
前者は当然変化しにくい人で、後者は当然変化しやすい人です。
この両者の間で貧富の差が生まれるのは言うまでもないですよね。
人によって、世界の見え方は違う。
ゆえに、世界がどうあるかは、他人とは共有しがたい。
よって、人それぞれの結果がつきまとう。
つまり、今ある状態はすべて自分の思考のもと、行動した結果。
これこそが、グラサンを外した時に見える、世界の正体です。
…ね?グラサンを外して世界を見ると、自分が追い込まれるのがわかるでしょう?
グラサンとは、自分になんらかの不利益をもたらす世界から身を守るための道具なのです。
ちょうど、本当のグラサンが強い光から目を守る役割をしているように。
結論
・グラサンをかけているから世界はそう見える
・グラサンを外せば、世界は正しい色で見える
・本当の世界は単純。グラサン外した直後は、まぶしすぎてツラく感じるかも。
これが私が考えた結果です。
つまり、冒頭で私が言った、
「優しい人が多いのに社会=厳しいってイメージがあるのはなぜか?」
は、ただ単に、私が社会=厳しいという色をしたグラサンをかけているから、社会がそんな色をして見えていただけなのです。
私がこの社会=厳しいという色のグラサンを外せば、途端に私は「社会は悪くない、悪いのは私だ」ということに気づかされるでしょう。
なので、これからは、ちょいちょいグラサンを外して、本当の世界のまぶしさに慣れていきたいと思います(笑)
以上、mikitsuruでした。
バイバイ(`・ω・´)ノシ
…今回、めっちゃ哲学したなぁ(笑)